きらきらメンタルブログ

PTSDと適応障害からのV字回復

私の父の事③(両親が離婚する前の話 編)

 

www.kirakira-mentaru.com

 

 

www.kirakira-mentaru.com

 

両親が離婚する前の話。

都心のタワーマンションに住んでいた。

 

 

バブル期だったとはいえ、裕福な暮らしをさせてもらっていた。

父はよく海外旅行に行っていた。 お土産をもらうのがワクワクしたし、嬉しかった。

 

 

小学1年の頃から次第に母の様子が変わってくるのが分かった。

イライラ、余裕がないのが分かる。

 

 

母が仕事を始め、父が家に居るようになった。

借金がばれた後、父は自律神経失調症になっていた。

 

 

借金の発覚した後も1年間はタワーマンションに家族みんなで住んだ。

母は、父も一緒になって頑張ってくれたら離婚はしなかったと言っていた。

 

 

「お母さんが働きに出たから安心したのよ。」

「家族に迷惑かけたんだから、もち直して迎えにくるのが普通なのに。」

何度も聞かされた愚痴だ。

 

 

なんだかんだで、似たもの夫婦だな。と思う。

期待し、相手の心の幻影に依存する。

 

 

 

「お父さん、怖い人からもお金借りてるから何かあったらお母さんに電話して。絶対ドアを開けちゃだめよ。

父は闇競馬にも手を出していた。

 

 

 

母が仕事の間は弟と二人で留守番だ。

母の勤め先の番号が記された手帳が電話機の横に置かれていた。

 

 

ピンポーン。 ドンドンドン。 ドンドンドン。 「 。。。。。。!!!!」

 

 

 

ちゃんとは聞き取れなかったが、大人の男の人の怒鳴り声。

怖がる弟を寝室に連れて行き、毛布を被せ抱きしめる。

私が守らないと。

 

 

f:id:lovemiko:20191003182321j:plain

弟もこの頃の記憶は残っている。と言ってました。

震える手で受話器を握り、手帳をめくり、母の会社に電話する。

 

 

「怖い人がきた。早く帰ってきて。」

 

 

 

 

今は二児の母になった私だが、自分の子どもの頃はしっかりし過ぎてた様に思う。

大人の愚痴を聞かされ、大人の事情を理解しようとする。

 

小学生の私は頭痛が当たり前の様になっていた。

 

 

ある日、母が 「お母さん、もう疲れちゃった。しん君(弟)は一緒に死んでくれるって言ってくれたの。みこちゃんは?        そう、嫌なの。しん君、おいで。一緒にここから飛び降りよう。」

 

 

2つ下の弟はまだ幼稚園児だ。

母の演技だとはなんとなく分かっていたが、弟を連れてバルコニーに行く母が怖かった。

 

泣き叫んだ。行かないで、死なないで、一人にしないで。

 

 

 

 

大人になって、母と母の友人とお酒を飲んでいた時だ。

「この子ったら涙で顔がグシャグシャだったの」 笑いながら話す母。

 

 

 

これは私が二十歳の時に被害を受けたナイフ事件の話。

クリニックに通う前の回復する前、PTSDだと自分ですら気づいてない時、調子が悪い時だった。

酒の肴にされた気がして、母の神経を疑った。

 

 

母と二人で飲んでいた時は 「あの時、本当に飛び降りると思った?そんな訳ないじゃない。あんた泣いちゃって必死だったよね。」

 

 

 

小学2年の女の子にためす事ではないと気づいているのだろうか。

 

 

 

私と弟は周りの大人たちを反面教師にして育った。

 

 

 

自己愛の塊のような両親。

自分の愚かさに気づけない叔父。

 

 

 

私も写し鏡として、その気質を持っているのだろう。と受け入れながら、どう生きていくかを考える。

自分の弱さを受け止め、例えそれがどんなに苦しい事でも目を背けず見る事を選んだ。

 

 

 

どう生きるか。の大切さを教えてくれた両親と叔父には嘘偽りなく心から感謝している。

 

 

 

 

 

それにしても、 思い出しながら書くから時間が本当にかかりますね(。>д<)

あと1記事ぐらいで「父の事」を終わらせられたらな。と思ってます。

 

 

あっ、母には期待してないけど良い感じの距離で付き合ってます(^-^)

私の子育てが落ち着いてきたら、旅行にでも連れて行ってあげたいです。

 

もう過去の事だもの。 みこを。

 

これで30記事、ブログを公開し始めて16日目です。

総PV1890。 読者登録頂いた方183名様。

感謝、感謝です。心からありがとうございます。

 

私が回復したい。と願っていた時にブログをよく検索してました。

 

 

回復までは人それぞれですが、回復された後の話、そこに至った道のりを書いてあるブログには残念ながらたどり着けませんでした。

 

 

当時の私は知りたかった。少しでもヒントが欲しかった。

 

 

そんな当時の私のような人に宛てて書いてます。

どうか、届きますように。

 

 

 

それでは、また。

 

愛を込めて。