きらきらメンタルブログ

PTSDと適応障害からのV字回復

働きたくても、働けない。寝込む日々。。

メンタルクリニックで先生に説明を受けた時の話。

 

「例えば、、小さいころに犬に噛まれて犬が苦手になってしまった。それの大きいバージョンだと思って下さい。」

、、、、、、PTSDの説明だ。

 

当時は犬に噛まれたのと一緒にしないでほしい。と思ったが確かに分かりやすい例えだ。

 

 

「戦争中、祖国に帰りたい、普通の暮らしがしたい。とあんなに願って帰国した兵士が破滅的な行動をとるケースがあった。命を懸けた極限の緊張状態の中から解放されて、いざ普通の生活に戻ると生活に適応できなくなってしまった。」

、、、、、適応障害の説明だ。

 

例え話が大きくて、すぐには飲み込めなかったがPTSDの症状がずっと続いていた私は適応障害にもかかっていた。

 

「PTSDと適応障害は表裏一体なところもあるから、あまり気にしないでほしい。」

 

PTSDの症状から解放された私は、働きたくても働けない状態になっていたのだ。

克服したら、回復したらやりたい事がたくさんあった。

ただ、この時はまだ幼少期のトラウマを抱えているままだった。

 

がむしゃらに、もがいていた。私は負けない。

でも、頑張ろうとすればするほど出口の見えないトンネルにいる状態になった。

 

二度とできない。と思っていた接客業のパートに週2回ほどで働いてみたのだ。

嬉しかった。

だが働いた次の日から反動で、何日も寝込む日々がつづく。

また、仕事の日になると気合でなんとか出勤する。心が苦しい、動悸がする。

 

昼間から寝込む。一日中、起き上がれない日もあった。

陽の光が窓から差し込む。子供たちの笑い声や近所の奥さんたちの話声が聞こえてくる。

 

自分はいったい何をしているのだろう。自然と涙があふれた。

なんで、みんなができている事ができないのだろう。

 

たった週2のパートもできないのか。社会と自分が切り離される気がして、仕事にすがった。

 

夜は辛い気持ちをお酒でごまかす。吐くまで飲む日もあった。

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↑子供たちのご飯をなんとか用意し、一日中寝て夜はお酒に依存していました。

1年近くこんな日々がつづいた。

子供たちの行事に参加できない日もあった。

自分を責めた。

 

「なりたい自分になるにはどうしたら良いのですか。」

 

「その考え方を変えなければいけないね。」

 

、、、、。。。。。

 

家に帰宅後、考える。

あぁ、そうか。一度すべて手放そう。

 

苦しみの元になるようなものをすべて手放してみた。

 

仕事をやめたら、もっと落ちていくと思い込んでいたのだ。

 

仕事をやめたあとは好きな事をして過ごしてみた。

 

神社までウォーキング。整体に通って身体を整える。お菓子を作ってみる。

友人とランチ。子供たちと遊ぶ。

 

気がついたころには寝込む日がなくなっていた。

 

当時のなりたかった自分とは。。。

毎日元気に働きながら、家事や育児を両立していくことだった。

 

でも、できない自分を受け入れたことで出口が見えたのだ。

自分に優しくしてあげた時に真っ暗だったトンネルの向こうに光が見えたのだ。

大きなトラウマを抱えたまま日常生活をしていくのは私にとって難しいことだった。

 

 

手放す勇気も必要だったのだ。

 

癒す時間が増え、余計な考える事も減っていき幼少期の大きなトラウマも回復に向かっていった。(別の記事に幼少期のトラウマ回復編は書きます)

 

このあと、職業訓練校に3か月ほど通うことになる。

「無理はしない。つらくなったら、いつでもやめる。決めるのは自分。」

 

そんな気持ちでやってみた。

子供たちの夏休み期間中でほぼ毎日お弁当を作り、週に5日朝から夕方まで学校に行く事ができた。決して無理はしなかった。

 

手放す事で、豊かさや欲しいものが手に入る。

心を整理する事は大切なのだ。

 

今は、パートに育児、子供の学校のPTAと活動してますが決して無理なく楽に生きてます(*^^*)

 

愛を込めて。